「出生時間が必要な宿曜占星術の占い方」は、あまりお奨めできないと思います

前記事でメッセージをくださったH様より返信いただきました。ありがとうございます。


ネット上で、宿曜占星術に関して何か壮大な勘違いがばらまかれているようで驚きました。


H様のメールを手掛かりとして、少しずつ誤解を解いていきたいと思います。

(具体的にそのサイト様の名を挙げて批判するわけにはいきませんので、あくまでもH様の文章を頼りにお話しすることに致します)


宿曜占星術を、西洋占星術にそのまま当てはめるのはタブーです

まずはメール文から引用。


--引用始まり--

計算とは無関係に27分類、というのは、生年月日時を入力して、宿曜星を算出するサイトでは、入力すると、「胃宿の人は反逆の星で…」などと胃宿の性格について書かれてあるわけですが、実際のところ、旧暦方式で参宿、占星学式では胃宿なのに、「性格はまさに、"昴宿"に書かれてある文章そのもの」という人が居ました。本人が出生時間を勘違い(午前生まれだと思い込んでいたが実は午後の生まれだった等の)ではなさそうなんですね。


 もちろん、そういう人が1人や2人ではなく、何人もおりました。少なく見ても全体の1割はいらっしゃると思います。

宿曜星の境界線から、どうやっても1~2時間ではなく、7時間とか、10時間位離れている人にも、性格が合致しない方は、結構いらしゃるようです。


 サイトの主は、占星学式の宿曜星の算出方法を知っておられる方で、「斗宿と女宿、井宿と鬼宿の境界線は、年により変わります。それでも、ほとんどの場合は、月星座が何座の何度であるかがわかれば、宿曜星がわかります。」と教えて下さったり、占い掲示板で語っておられました。

--引用終わり--


なるほど……状況を理解しました。

そのサイト主様は私が前記事で省略した、

「現代では月星座から強制的に宿を分ける手法もありますが、信頼に足る手法ではないのでここでは省きます」

に当たる計算方法を採用されている方だと思います。


この「月星座から強制的に宿を分ける手法」とは、宿曜占星術の原典にて表された宿曜盤(下リンク先の記事にある図)をもとに、

① 西洋占星術の太陽暦で月星座を出す

② 月星座の位置から、宿曜盤で強制的に宿へ振り分ける

という方法で宿を出すものです。

【例】月が水瓶座にある人は、下図に当てはめて強制的に「虚・危・室」へ振り分ける(どの宿に入るかは、おそらく日の時間を三分割して決める)。境界上にある虚宿や室宿は解釈が曖昧になる、としておく。

→詳しくはこちら。『宿曜占星術が当たらないのは暦の選択が誤っているから』


ところがこの宿曜盤というものが曲者でして、インド人が宿の解釈を考え出す時に使った正確な図というわけではないのです。

あくまでも「なんとなく星座と宿の関係を図にするとこんな感じ」(笑)というイメージ図程度のものでしょう。


何故なら現実の月星座は、内円の宿に留まらずに毎回大きく動くからです。

だからたとえば、【壁宿】の人でも実際の月は水瓶座にあることがあったりするわけです。

【斗宿】の人なども、蠍座・射手座・山羊座と、この図よりも遥かに広い範囲に月があり得ます。

(つまり宿それぞれに相応する星座を表す外円のほうが遥かに広く、全て重なる。だから図に描く場合、このような綺麗な円とはならず、いびつな形になる)


……文章ではたぶん分かりづらい話ですよね? すみません。

とにかく、「宿曜盤は天体を表したものではなくイメージ図に過ぎない」と思ってください。


それなのにこんな単なるイメージ図でしかない宿曜盤を鵜呑みにして、

「水瓶座の人は出生時間によって虚・室・危のどれか」

として強制的に押し込めてしまったら、結果がはずれて当然です。


そもそも占いは当たる人とはずれる人とが必ず存在しているもの。

100%当たると言うほうがおかしいのですが、それにしてもこの「月星座を強制的に宿へ割り振り」手法は、はずれる確率のほうが高いのではと思います。


宿の解釈はデータ蓄積の勝手なものではない

--引用始まり--

 なので、そのサイト(出生時間が必要な宿曜のサイトとしては有名なサイト)の主は、各宿曜星ごとの性格について統計・データを集める・収集する際、出生時間が不明の人に対して、(例えば午後1時より前の生まれなら「尾宿」で、後なら「箕宿」の人を、実際には午前5時生まれで尾宿なのに、その人の雰囲気を見て想像で、"この人は箕宿でしょう"となどと)ある意味勝手な判断を重ねて、結果的に、「箕宿の人の性格」の文章の中に、尾宿や斗宿の人までもが含まれるようになって(他の宿曜星でも同様のことが起こって)、結果的に、計算を無視して、トータルの性格だけで27分類した各宿曜星ごとの文章というものが出来たのではないか、と考えた次第であります。

--引用終わり--


>ある意味勝手な判断を重ねて…結果的に、「箕宿の人の性格」の文章の中に、尾宿や斗宿の人までもが含まれるようになって…計算を無視して、…各宿曜星ごとの文章というものが出来たのではないか


そうではないのです。

あれは西洋由来ですので、データの蓄積から造られた人物鑑定ではありません。12星座の理論に基づきます。

(東洋占いはデータ蓄積ですが、西洋占いは違います)


確かに最近の占星術界隈では、「自分勝手な解釈を含めてしまう」という恣意的な改ざんが盛んに行われていて、12星座も宿もほとんど役に立たないと言われるまでになってしまいました。

しかし、古代の人は現代人ほど杜撰ではなかったようです。


27宿は、前記事に書いたように

その宿に月が通る可能性が高い星座解釈を、全てミックスしたもの

です。

これもまあ、いい加減と言えばいい加減なのですが(笑)、古代インド人はあくまでも「簡易版の星占い」だと考えたので便宜上こうしたのでは。

少なくともデータ上の解釈を積み重ねて宿解釈を出したわけではありません。


何故そう言い切れるかというと、宿の解釈は12星座の基本解釈をきちんと守りながら、「その日に月が通る可能性の高い星座全てミックス」をしているからです。

このことは、西洋占星術で12星座を基礎からしっかり学ぶと分かってくるようになります。


とにかく基本を守り、

1、まずは古典インド式に27分類の宿で占うことです。

2、そしてなるべく古典に則った解釈で読み解くこと。

この基本を守ればほとんどの方は「当たっている」という感覚を得ることができるはず。

「2」がわりと難しいかもしれませんので、西洋占星術と宿曜占星術を横断的に理解している人の現代解釈を参考にすると良いでしょう。


手前味噌ながら、当サイトの解釈も参考にしていただければ幸いです。これは前世占いとして書いていますが、今世でも若いうちは当てはまりやすいと思います。

『宿曜占星術』占い方と解釈


それでも当たらない人へ

なお、手法が正しくても当たらない人は必ずいます。

西洋占星術でもそうです。

理由は様々ありますが、宿曜占星術の場合は、こちらの記事『宿曜占星術が当たらない方へ』で書いた理由で当たらないのではないかと推測されます。


上記事で書いているように、月は一時期のアイデンティティ。

宿の場合、当たっていない人のほうが正しい人生を送っており、成長しているのだと言えるのです。

だから宿のみ気にしてこだわり過ぎないほうが良いと思います。


午前・午後で宿の影響が違う場合はあるらしい

--引用始まり--

TOKIOの元メンバー山口達也も、宿曜という視点からだけで見れば、「房宿」だけれども、「氏宿」の性格も引きずっている部分もあるように思えました。

 …というような考え方は、宿曜占星術には無いのですね。

宿曜占星術そのものが、西洋占星術の簡易版、ということは、そもそも簡易版なので、簡易版が本来の姿なので、月以外の惑星にも全て宿曜星を割り振って、西洋占星術と同様に占う、ということは、吉野さんがおっしゃるように、理屈が通らず意味不明、ということになるのでしょうね。

--引用終わり--


そうですね。

宿曜占星術の「宿」は「月が通る可能性が高い星座ミックス」と考えられますので、「月の通り道の星座」へさらに太陽暦で出した他の星を当てはめるということは……“???”と頭の中が疑問符だらけになってしまいます。


西洋占星術も太陽の通り道「黄道」の12分割へ各惑星を当てはめたもの。

そう考えれば不可能ではなさそうにも思いますが、そもそも白道暦と太陽暦を混ぜることが意味不明な気がします。


無論、

「月と他惑星のアスペクト(角度)」

と考えられなくもない。しかしそれにしても大雑把過ぎます。

そのような回りくどい手法を採るくらいなら、始めから西洋占星術で観れば? と私だったら思ってしまいますね。


失礼ながら、上の手法を編み出された方はおそらく西洋占星術にさほど詳しくないと推測できます。

西洋占星術を知っていれば、やはりそちらで占ったほうが早いので無理に宿へ他惑星を当てはめたりなどしないものです。


> TOKIOの元メンバー山口達也も、宿曜という視点からだけで見れば、「房宿」だけれども、「氏宿」の性格も引きずっている部分もある


そうなのですか。私は彼のプライベートの性格をあまり知りませんが、芸能人としての行動を眺めていると、どちらかと言えば房宿のほうが近いような気もします。

(あくまでも現時点で表れている人格について。本性については西洋占星術のアセンダントを観たほうが正確です)


当サイト房宿の解釈:「タレント業には特に向いているかもしれません。…部下や後輩など下位の者への無神経に思われる言動を繰り返し、気付かないうちに根深い怨みを買っていることが」

古典解釈:「快活にして、一族を超越して家風を栄えしむも末を遂げざるあり。事を成すに疾速、その為に崖より落つる如き病の危険あり。何事にも身を慎むべし。」


とは言え、宿曜占星術で午前・午後に関してだけは確かに違いがあるとのご報告をいただいています。

これはもしかしたら古代の日付変更線が違っていたなどの理由によるかもしれません。

月の位置で正確に読む場合には、何度も申し上げる通り西洋占星術で太陽暦にて占うべきと思います。


西洋占星術が吉凶にこだわらない理由

--引用始まり--

スピード違反や信号無視で違反切符を切られる人や、交通事故に遭った人達を

独自で統計を取ってみたのですが…

交通事故に巻き込まれたり、違反切符を切られる人を、占星学式で観た場合、確かに、「壊」や「危」、「命・業・胎」の時間帯に若干集中しやすいようですが、壊・危・命・業・胎は約27日のうちにトータルで約9日も巡ってくるわけであって、「成」や「安」でもそれはあるようですし、「友」や「親」でも無いわけではない上に、凌犯期間だったり、宿曜星の境界線付近の時刻だったりすると、もっと(宿曜による日運と違反切符を切られることの関連性が、どの程度あるのか)わけがわからなくなるようにも思えました。

--引用終わり--


統計を取られたとのこと、素晴らしいことと思います!

私は無精ですし、今は鑑定などを行っていないので事故などの情報を得ることもできません。そのため統計を取ってはいないのですが、個々人のそのようなデータがやがて「占いは当たる」という偉大な結果を表すことになるかもしれません。ぜひ続けられてください。


>わけがわからなくなるようにも思えました。


その感覚は、占いに興味を持つ人は全員が実感していると思います。

吉の日だからといって必ずラッキーなことが起きるとは限らないし、凶の日だからといって事故に遭うとは限らない。

そんな現実を目の当たりにしたとき、「当たらないじゃん」と占いに怨みを持って投げだす人は大勢います。

でも、昔から

「当たるも八卦 当たらぬも八卦」

と言うように、占いとは必ず当たるという契約とは違うのです。

参考:当たるも八卦の意味、こちらのサイトさんの解釈が正しいと思う


西洋占星術でもそうなのですが

「大きな事故の日が、後から調べたら凶運だった」

ということは多々あります。

世界大戦など最大の不幸が起きた日を後から調べると、そうなって当然という星回りだということが分かり、全身鳥肌が立つ……という経験は誰しもがしているはず。


ところが、似たような星回りの日が来たからと言って世界大戦は起きないのですよ。


何故か?

それは、占いの吉凶とは

「そうなる準備が整っている日」

に過ぎないからです。

実際にそれが起きるかどうかは、地上で生きている人間の自由意思に関わっているのです。


根本的なことを言えば、人間は魂だったときに人生を計画して生まれてきます。これが「運命」というものの真実。

ほとんどの人は計画通りに人生を進めたいので、「運命」を自ら実行します。

ところが途中で嫌になって投げ出す人がいるのですね。

勝手に人生計画を変えてしまったり、人生を途中放棄したり。

(その代わりカルマという負債は減らないので本当に運命を回避したことにはならない)

運勢の良し悪しとは、この自由意思を持つ人間たちが計画を実行しやすく整えられたフィールドに過ぎません。

あくまでも環境に過ぎず、魂の「意思」こそが主体ですから、日々の運勢にばかりこだわって行動を左右されてはならないわけです。

運勢だけに気を取られていますと、本来の人生計画を見失ってしまうこともあります。


>西洋占星術のことは私はさっぱりわからないのですが、単純な吉凶占い(宿曜で言うところの吉日・凶日)に対して、西洋占星術は否定的なのですね。

>単純だとそれこそ検証困難だからでしょうかね。


たぶん、そういうことではないと思います。


一時期は西洋占星術もポピュリズムになり、吉凶占いに堕ちたこともありました。でもその時代の反省から、現代では吉凶にこだわらない派が増えたものです。


そもそも、西洋には吉凶にこだわらない文化的素養がありました。

西洋は本来「オラクル=神託」文化です。このため、人生に起こる全てのことを「神様の思し召し」と捉えてありがたく思うわけです。

だからこそ、運命というものに対する捉え方も多様性が生まれ、

「解雇されること=休みを取れという神様の思し召し」

「病になること=健康をありがたく感じさせるための神様の思し召し」

と捉えます。

神様絶対、なので価値観が多様的にならざるを得なかったのだとも言えますが。(そうでなければ絶望です。西洋で占いの結果は動かせないので)


いっぽう東洋で占いは唐代頃から庶民のための一大ビジネスとなったようです。ビジネスであるから、どうしても庶民の欲を煽るような実利的な内容にならざるを得ません。

このため「金持ちになること・出世すること=吉」「病気・事故・破算=凶」と単純に考えます。

そこから、「運勢を吉に近付けて金持ちになるにはどうしたらいいか」ということで風水などの魔術的な文化が発展しています。

神様の絶対権力が無かった故に、価値観のほうは実利主義で単純になってしまったと言えるでしょうか。


ただ現実を眺めると、多様性ある価値観のほうが正しいと言えます。

悪いと思っていた出来事が結果的に良かったということは起こります。

東洋のことわざでも、これを「塞翁が馬」と言います。占いを離れたなら東洋も実利主義だけではないわけです。


※塞翁が馬とは:「人生の幸・不幸は予測しがたく、幸運も喜ぶに足らず、不幸もまた悲しむにあたらないとのたとえ。」コトバンクより


塞翁のように、何事も世間的な実利だけで考えず、本当に自分にとって良い人生を受け入れることが

「日々の細かな運勢に左右されない生き方」

と言えます。


終わりに

二回にわたり長々と書いてきました。

まとまりがなくて、すみません。

分かりづらいところもあるかと思いますが、お暇なときに読み解いていただければと思います。

この度はメッセージありがとうございました。

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吉野圭 -Yoshino Kei-

専業の占星術師ではありません。退行催眠で得た前世記憶をもとに、占星術で前世を照合する方法を調べています。詳しくは「このサイトについて」にて。著書は小説『我傍に立つ』『僕が見つけた前世』他 amazon出版中。