「天の法令」として読む占星術

鏡先生曰く

この間、鏡リュウジ氏のコラム本を読み返していて、彼が占い師を法律家に喩えていたことに気付き驚きました。

『占いはなぜ当たるのですか』鏡リュウジ(講談社)P210-211


*伝統派は法律家にも似て

(略)かつてはホロスコープを使ってものごとの成否を判断することが多かったので、よく「ジュディシャル・アストロロジー(Judicial Astrology)」という言葉が用いられる。 Judgeとはもちろん、判断のことだし、これは裁判という意味もある。実際、伝統派の占星術の解釈は、法律の解釈にも似ているところがある。

 ごく基本的な占星術のルールに従いながら、解釈をしていく。しかし、それだけでは判断に迷うことも、すぐには事実どおりに当たっていないように見えることもでてくる。 そこで、占星術家は、過去の偉大な占星術家の判断例を参照しながら、自分の解釈を導いていくのだ。その「判例」となる文献は、どんどん復刻されている。

 数百年前のテクストを判例として、チャートを読み込んでいくのは、心理学的な占星術とはまた違う、知的な面白さがある。そして、それは実際によく「当たる」のだ。


判例解釈に想像が及ぶとは、さすがだなぁ。

道を究めた方は他ジャンルのことも理解されるものなのでしょう。


私などはたまたま学校で法律に縁を持ったので、つい占星術も法律的に解釈してしまう癖があるのですが、古典的な姿勢としては間違っていなかったことになるのでしょうか。 私の場合、圧倒で「判例」の知識量が少ないですけどね。


法律解釈と言えば、昨今の国会討論を見て世間の皆様は

「法律って、その時々の政権がテキトーに解釈していいもんなんだね」

と思われ、「法律=いい加減なもの」というイメージを持たれていることと思います。

でも本当はそんなことないんです。今の状況が異常なだけ。


法律にはその時々の解釈が必要とは言っても、「立法趣旨」を推測しつつ、論理的な筋道を通して「これしかない」という判断を降すものです。

その論理的解釈を行うプロフェッショナルが裁判官であり、プロの中のトップに立つ法の番人が最高裁判所の裁判官です。 このため最高裁の判例は法律に次ぐ「神の命令のごとし」で、法律家たちは全員従うわけです。稀に最高裁の判例があっても反旗を翻す場合がありますが、これは論理的に見て勝ち目があると思われた場合のみです。

だから法律解釈は素人目には恣意的に見えても、実はまったく恣意的ではないんですね。


今は政権によって恣意的解釈が許されたかのような異常な状況ですが、こんなことをすれば国家の法律は滅んでしまいます。法律を誰も守らなくなりますから、国家も機能しなくなり国の滅亡につながります。

このことを「法的安定性(ホウテキアンテイセイ)が破壊される」、と言います。

※2015年に新聞等で「法的安定性」という言葉がよく使われたため、これを反政権主義者たちの造語だと思い込んでいた人もいたようです。完全なる勘違い。実は古くからある言葉で、法律関係者は初めて学ぶ時からこの言葉と精神を叩きこまれます。


占星術もこれに似て、恣意的な判断が過ぎてはいけないと思います。

まず法律に相当する「本義(オーソドックス解釈)」に従うことが基本で、解釈を広げる場合には偉大な占星術師たちによる判例を参考にすべきです。


ただ幸いに占星術が法律と違うところは、人間の作った法律ではないということです。当たり前なのですが、ここが重要な気がします。


占星術の場合は「当たる・当たらない」という絶対的結果がありますね。

ということは、占星術という法律の立法趣旨は、この「当たる・当たらない」を手がかりとして誰でも推測可能ということになります。

占星術には判例検索システムなどありませんから(笑)、 素人には海外のものなど広く判例情報を仕入れることは困難です。

ところが素人でも、自己の鑑定という判例を積み重ねることによって「どれが正しい解釈なのか」を選び取ることは可能。

言ってみれば、結果を誠実に分析することで、人間ではなく神様の判例システムに直接触れることができるのです。この平等さが占星術の良いところ。


ただし神様の判例システムを利用するためには、結果に対して誠実な者でなければならないと思います。

近ごろ占星術でも「本義」や「実証データ」さえ無視して解釈を広げに広げていく手法が流行している気がしますが、昔からの占星術の一ファンとしては違和感を覚えてしまいます。

当たっていないものを、解釈を広げる技術によって無理に当たっているかのようにこじつけるのは、占星術においても「法的安定性の破壊」につながる行為です。


以下はこのことについて、以前にブログで書いた雑談の転載です。

(なお「法令」とは「法律」より広い意味の、命令なども含む言葉です)


補足: 私は絶対的な古典主義者ではないので、鏡氏と「判例」という用語の使い方が違うところがあります。 「判例」を示してくれるのは偉大な占星術師だけではなく、自己の鑑定結果や、巫女たちの透視も含むと考えています。



「神(天)の法令」としての占星術

占星術をやっていると

「神(天)の法令を読んでいるようだ」

と感じることがあります。

逆に言えば、占星術の鑑定は「法令を読むがごとく」でなければならないと私は思うのです。


だから星座の解釈などはある程度

「こうである」

という決まりきったステレオタイプ的な解釈に基づいて行うべきで、自分勝手な想像で行うべきではないというのが私の主義です。

もちろん、「こうである」を推測するのは人間です。

そしてその推測のスタートは、星座や神話からの空想であったかもしれない。


実はこういうところも法律と似ているんですよ。

立法者という「神」がいて、後世の人々はその神の意図したこと(立法趣旨)を透かし見ながら判断しなければならない。

これと占星術は似ています。

星座などのイメージからは、いくらでも自由に空想をはたらかせることが出来る。

でも現実の人々の人生に役立つものにしていくためには、解釈が自由な空想であってはならず、神の意図に限りなく近付けて行かなければなりません。

そのためにおそらく昔は巫女を使って星座の本義を読み解こうとしたのでしょうし、近代では透視能力者に度数ごとのシンボル解読を委ねた。(サビアン占星術)


これら能力者による透視は、能力のない我々から見れば裁判所の判例のようなものです。

さらに占星術には「最高裁判例」とも言うべき強力な固定力を持つものがあります。

それは

「当たるか・当たらないか」

という事実です。

占星術の解釈が事実と合致して初めて、それは神の意図した法令を正しく読み取った解釈であると証明出来たことになります。



星座から自由な発想をするのはとても楽しいし、素敵なことです。

私はそのような自由な発想が大好きです。

何よりも学び始めのうちはこのような空想で遊ぶことが大切と思います。 そもそも哲学だって空想の訓練から始まっていますし、占星術の技術を習得するためにも空想をフル回転させて直観能力を磨くことが不可欠のはず。


でもいつかは神々の意図を正確に読み取るところまで行かないと意味がないのかなと思います。


一番まずいのは、空想を空想のままにして永久に飛んで行ってしまうことではないでしょうか。

事実と付き合わせて当たるかどうかを確かめることもせずに、星座に関する自由な発想を「こうである」と主張して他人に押し付けたりすることですね。


私も、まだまだです。

星座シンボルから湧き上がる空想の力に飛ばされそうになりながら、必死で地上にとどまり現実を見ようとしているのが現状。

いつかは天の意図を正しく読み取る境地まで辿り着きたいと願います。


吉野圭 著

http://fo.kslabo.work/

--2014年12月1日ブログにて筆 2017年9月14日転載--


※このコラム記事では「神様」「神々」と表現していますが、これは特定の宗教上の神様のことではありません。厳密には、地上を越えた次元の法則のことです。「神」と呼ぶよりも「天」と呼んだほうがニュアンス的に近いかもしれません。

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吉野圭 -Yoshino Kei-

専業の占星術師ではありません。退行催眠で得た前世記憶をもとに、占星術で前世を照合する方法を調べています。詳しくは「このサイトについて」にて。著書は小説『我傍に立つ』『僕が見つけた前世』他 amazon出版中。